“気を配れ”と言う父は、わたしの本心には無関心だった

気を配れといった父は わたしの本心には無関心だった

気配りを強要された父との記憶

気配りを強要された父との記憶

わたしが父から気を配れと言われるようになったのは、成人してからのことです。
小学校高学年から高校卒業まで父と離れて暮らしていたため
また一緒に住むようになってから、その言葉を言われるようになりました。

父の内縁の妻から聞かされた、今でも忘れられないものがあります。

父

あいつ(私のこと)は弟と違って、顔が俺に似ているから、損をする

きっと父なりの“心配”だったのかもしれません。
でも私にとっては、自分の存在をまるごと否定されたようで、深く傷つきました。

😿当時のわたしは、そんな気持ちに蓋をしていました。
皆さんは、絶対に真似したらダメですよ。

その言葉のあとから、父はやたらと気配りができる人間になれと言うようになったのです。
損をする顔だから、せめて気配りで補えとでも言いたかったのかもしれません。

だけど、わたしからしたら余計なお世話でした。
娘を心配する父をアピールしているのがミエミエで、気分が悪くなっていました。

でも当時のわたしは、そう言えなかった。
そんなことを言わせるわたしの顔に問題があると、自分を責めていたからです。

この本心に蓋をして、自分を責めたのも、わたしを苦しめる原因となりました。
今回はそのことを綴りますので、一人でも多く共感していただけたら、幸いです。

父のご都合主義と理不尽さ

父のご都合主義と理不尽さ
父

お前は気が利かない

わたし
わたし

気が付いたお前がやれよ・・・

一緒に住むようになってから、こんな感じでいつも言われてました。
そして、ことあるごとに母親の悪口を言っていた父。

お前は母親にそっくりだ

すぐヒステリックになる

――そんなふうに蔑むくせに、都合のいいときだけ
お前の母親は言われたらすぐ動いたと持ち出してきました。

そのご都合主義と理不尽さが、嫌で嫌でたまりませんでした。
……けれど、当時のわたしにはそれを口に出すことができなかったのです。

気配りをするよう言われれば言われるほど、拒否反応が強くなっていきました。

自分を責めるしかなかった日々

自分を責めるしかなかった日々

周囲も父の味方のようで、わたしの気の利かなさについて口にしました。
当時のわたしは転職癖や諦め癖が強く、彼氏ができてもすぐに振られるなどの結果ばかり。
だからこそ、言われても言い返せず、自分を責めるしかなかったのです。

そんな中でも、自分なりに気配りをしてきたつもりでした。
でも、同僚たちはそんなことをしなくても素敵な彼氏を作るのに、わたしだけがうまくいかない。
その現実を目の当たりにして、父の言う気配りに強く疑問を持つようになりました。

今振り返って思うこと

今振り返って思うこと

しばらくして父と離れて暮らすようになり、カウンセリングを受けたことで
気が利かないわたしでもいいっかと少しだけ思えるようになりました。

そのあと結婚・離婚を経て再婚し、50代半ばで失業。
ようやく色々と向き合えるようになったとき、ふと思い出したのが父のことでした。

当時は感じないようにしていた感情が、少しずつ浮かび上がってきたのです。

父は、嫌がるわたしをからかって笑い飛ばすような人でした。
内縁の妻も同じようにいいじゃんと笑って取り合わず、わたしの尊厳は何度も踏みにじられました。

わたしの心に気を配るどころか、平気で尊厳を傷つける父。
そんな父が言う気配りには、まったく意味がないと感じてしまいました。

苦しみの原因と、今のわたし

苦しみの原因と、今のわたし

未だにあるわたしの諦め癖の原因の一つが、この経験です。
尊厳を踏みにじられることばかりされた子どもは
わたしのようにすぐに諦め癖がつき、なんでも途中で投げ出す。
転職癖ももれなくセットでついてきました。

そして自分を価値のない人間と決めつけてしまい、今も苦しんでしまう。
だけど、そんな自分と向き合うようになり、どうしてこうなったか、少し分かった気がします。
わたしの場合、それに気づいたことで、ほんの少し楽になれたのかもしれません。

おわりに

おわりに

改めて思うのは、
「気を配れ」と繰り返した父は、わたしの本心には最後まで無関心だったのです。

まだまだ自分と向き合っていきますので
新たな気づきがあれば、その都度またブログでお話ししていきます。

この記事が、同じように苦しんでいる方の支えになったり、生きるヒントになれば嬉しいです。


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