気配りができる人間になれ――父の口ぐせ

お前は、気が利かない!
生前の父は、わたしによくそんなことばかり言っていました。
そして父は、一度座ったらお手洗い以外ではまず動かない。
何か持ってきてほしい時、継母の手が空いていないと、わたしにこう命じます。

おい、ビール!!
わたしが嫌な顔をして動かないと、父は怒鳴ります。

・・・(超絶嫌な顔をする)
当時は、父の理不尽な命令に顔をすることすら許されなかった我が家。

言われたら、すぐに立て!!
お前はそうやって、すぐに顔に出す!!

お前の母親は、言われたらすぐに動いたぞ!
当時は感じなかったが
散々、別れたわたしの実の母親の悪口を言っておきながら
このように
わたしを悪者に仕立てるために
母親を持ち上げる父が大嫌いでした。
周囲からも浴びせられた“気の利かなさ”
だけど、それだけじゃありません。
周囲の大人たちからも、こんな言葉を何度も投げかけられてきました。
・遅い!!!
・親の顔が見てみたい
もう、耳にタコができるほど──いや、もはや罵倒の嵐でした。
期待に応えられないわたし
たぶん、父の言う通りに気が利くわたしだったら、
父はもっとわたしを認めてくれたのだと思います。
でも、そんな期待に応えることはできず、また教えているつもりの罵倒が始まる日々。
父だけじゃない、いろんな人からも──。
求められた通りにできない。
父の言いつけに嫌な顔をする。
そんな自分を責め続けて、
いつしか「何もできない出来損ないの、価値のないわたし」だと、自分で決めつけてしまっていました。
そして、そんな自分にただただ絶望するしかなかったのです。
「わたしばかりが足りない」と感じていた理不尽さ
そして何より、今でもモヤモヤしているのは、
父が「気を配れ」「気が利かない」
と言っていたのが
なぜかわたし“だけ”だった
ということ。
弟や他の子には、そんなことを言っている様子はなかった。
だからこそ、どうしてわたしばかりが足りない側として扱われてきたんだろう──
悲しくて、切なくて、心がはちきれそうでした。
なのに、そんな気持ちには一切目を向けられることなく、わたしにはダメ出しばかりが続きました。
気が利かないと教えてきた父に、気づいてもらえなかったわたしの末路
時が経ち、最近になって、とても残念なことに、気づいてしまいました。
わたしに「気を配れ」と言っていた父は、わたしの気持ちに気を配ることはありませんでした。
わたしがそのことに「とても辛い」と感じるまで、ものすごく時間がかかりました。
そこに気づくまでの
そんな父や賛同した人らを見て見ぬふりしたわたしの末路は
父や周囲への怒り
・父や母の言うことが“正しい”
と思い込んでしまったこと
・でもその常識が、社会では
まったく通用しなかったこと
現実を直視するのが怖くて、現実から逃げて、浪費に走って──
その結果、借金も作ってしまいました。
……もちろん、それだけが原因じゃない。
でも、すごく大きな一因だったのは確かです。
子どもは、親を見て育つ
今、わたしが強く思うのはこれです。

なってほしいなら――
まずは親である父が、
子どものわたしや
弟の気持ちに気づき
寄り添うことだった
父が子どもの気持ちに気づいて、寄り添おうとしたのは──
たった一度きりでした。
やっぱり、子どもって、
生きていく上での「見本」は、まず親なんです。
いいところも、悪いところも、ちゃんと見てる。
そして、真似をしていく。
それは、なんだかんだ言っても──
やっぱり、親のことが好きだから。
気配りはまず、自分に向けてこそ
そんなわたしは、長い間、自分の気持ちに寄り添うことができませんでした。
だからこそ、他人に気を配ることもできなかったのです。
でも今。
少しだけ、自分の気持ちに寄り添えるようになって──
少しだけ、他人にも気を配れるようになってきた気がしています。
以前に比べて、他人から叩かれることも、驚くほど減りました。
💡この記事で伝えたいこと
- 「気配り」は、人から命令されてやるものではない
- 自分の気持ちに寄り添ってこそ、本当の気配りが生まれる
- 子どもに気配りを求めるなら、まずは親が子どもの気持ちに気づくこと
- 子どもは親を見て育つ。親の気配りが、子どもの気配りを育てる

ずっと言われてきたけど──
じゃあ、パッパは
わたしの気持ちに気づいてくれてた?
……って思うと、
ちょっとムカつくし、ちょっと悲しい。
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