父との最後の会話が教えてくれた──愛は与えるもの

父との最後の会話が教えてくれた 愛は与えるもの 心と向き合う時間

はじめに

今までのわたしは愛情を欲しがるばかりのわたしでした。
けれど父との最後の会話で、初めて愛を与えるわたしになれたと感じています。
今日はそのことを綴ってみたいと思います。
愛情に飢えていると感じている方に、少しでもお役に立てたら幸いです。

甘えられなかった子ども時代

わたしが物心ついたときから、母に甘えた記憶は全くありません。
父に少しだけ甘えていた記憶はあります。
小学2年生の夏、酒浸りの父に母が愛想を尽かし、わたしたちを置いて出て行ったからです。
そんな背景があり、とにかく母に甘えることはできませんでした。

わたし
わたし

今、考えると、そんな父の尻拭いで精一杯だった母は
わたしらを構う余裕が無かったのかもね。

爆発するような人間関係

高校時代までは愛情を強く欲しいとは思いませんでしたが
社会人になり23歳くらいから愛情を強く欲するようになりました。
親に甘えられなかった反動で、人間関係でも我慢を重ねやがて爆発してしまうのです。
罵声を浴びせることもあれば、約束をドタキャンして絶縁されることも多々ありました。

📌このように、親に対して我慢を覚えてしまった子どもは、どこかで発散してしまうのです。
それも、自分を傷つけた相手にやるならともかく
全く無関係で、しかも優しくしてくれた人にやるから、そりゃあ相手も傷つき、離れてしまうのは当然です。

母への助けを求めて玉砕

どうして自分がそうなるのか知りたくて、母に助けてほしいとお願いしました。
しかし結果は玉砕。
気持ちに蓋をしていれば繋がれると思い込んでいましたが、それは大きな間違いでした。
数年後、母と永遠にお別れする前触れになってしまったのです。

わたし
わたし

気持ちに蓋をするのは、後々人間関係等響くので、気を付けよう。

北海道での生活と父との関わり

やがて北海道へ嫁ぐ数年前に母と絶縁し

わたし
わたし

ほらね、気持ちに蓋をするからだよ。

心のよりどころを持てないまま新しい土地での生活が始まりました。
わたしは父に喜んでもらいたくて、家計が苦しい中でも贈り物を送り続けました。
しかし父はもっとよこせと言い、できる限り応じる日々が続きました。

わたし
わたし

今思うと、父に貢ぎ物をすれば
言い方は悪いが、愛情と言う見返りを求めていました。

父への貢ぎ物をやめたとき

ある日、父が孫がビールを買ってくれた、俺は孫が一番可愛いと言ったとき、愕然としました。
やっと目が覚めたわたしは、父に貢ぎ物をするのをやめ、お願いを一切聞かないと決めました。

😿 いつも父は、このようにわたしの反応を楽しむ嫌がらせをするのです。
親子関係でも、このようなイジメが起こるのです。
しかし、わたしの、父に対して愛情を求めた負い目が、そうさせてしまったのです。

すると父も何かを悟ったのか、用もないのに元気か?と電話をしてくるようになったのです。

父に伝えた、初めての愛情

何度かそんな電話が続いたある日、父の声がどこか弱っているように思えました。
当時は必死で余裕などありませんでしたが、思わず言葉が出ました。

わたし
わたし

お父さん、わたしがいるよ。
寂しくなったら、いつでも電話してきて。待ってるから…


それは幼い頃からわたしがずっと両親に言ってほしかった言葉。
けれどその時、初めて自分の口から父に伝えることができました。
今振り返れば、あの瞬間が初めて愛情を与え体験でした。

父との関係が教えてくれたこと

父が亡くなってからずいぶん経ち
失業をして過去を振り返る中で、ようやく父との関係を見直せました。
母にも、あの時父にかけた言葉を伝えられていたら、関係は少し変わっていたのかもしれません。

そして今だから分かるのは、父との関係性が変わった頃から、不思議と職場の人間関係も良くなっていったということです。
父親との関係性が、社会生活にまで影響していたのを体感しました。

最後に。与えることで幸せになる

愛情が欲しければ、自分も変わらないといけない。
変われば、自分からも愛情を与えることができるようになる。
そして、与えることもまた自分を幸せにするのだと──
父が亡くなってから、はっきりと分かりました。


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