💬 忘れられない義妹との出来事
はじめに──
義妹との関係を悪く言いたいわけではなく
あの経験を通じてわたし自身がどう変わったのかを残しておきたい──そ
れがこの記事を書いた理由です。
今、わたしは義妹と疎遠になっています。
きっかけはコロナ禍でしたが、それ以前から心の中には違和感が積み重なっていました。
当時のことを振り返ると、あの冷たい視線と態度は、いまでも忘れられません。
子どもの頃の記憶と重なった光景
わたしは子どもの頃、甘えることができませんでした。
泣けば叩かれ、我慢するのが当たり前になっていたからです。
それなのに、義妹の子どもが思い通りにならないと癇癪を起こすので、気が済むまで延々と付き合ってもらっている。
義父母も「子どもだから仕方ない」という顔で、ところかまわず癇癪を起こしたり奇声をあげても当然のこととして受け止めていました。

信じられない・・・
そんな光景を見るたびに、心の奥に押し込めていた傷が疼きました。
過去の自分と今の状況が重なり、どうしても居心地の悪さや孤独感を感じずにはいられなかったのです。
義父母だけと付き合いたかったのに
だから当時のわたしは、義妹とは距離を置き、義父母だけとお付き合いしたいと思っていました。
けれど実際には、わたしたちが義父母の家に行くと、必ずといっていいほど義妹一家の誰かしらがいる。
その場に居続けるのがつらく、長居できずにすぐお暇することが多かったのです。
どうやらその態度が、義妹には面白くなかったようでした。

今だから言えるけど、あのときは本当にしんどかった
わたしとしてはただ居心地の悪さから距離を取っていただけでしたが、義妹にとっては違う意味に映っていたのかもしれません。
コロナ禍での出来事
その後、コロナ禍になり、緊急事態宣言が解除されたあと、久しぶりに義父母の家を訪れました。
ところが、わたしたちが玄関に入ると同時に、義母がマスクをつけた姿が目に入り、思わずがっかりしてしまったのです。
その時の気持ちを、つい旧Twitterに愚痴として書いてしまいました。
すると、それを義妹が目にして──わたしに直接ではなく、夫を通して不満を伝えてきました。
📌 これは義妹がよく使う“いつものパターン”。
自分の手を一切汚さず、誰かを介して不満を言わせるのです。
弁解できなかった悔しさ
こうして、わたしの知らないところで夫や義母が巻き込まれ、ことは「問題」として処理されていきました。
当時のわたしには弁解の余地すらなく、気づけば義妹の思惑通りに物事が進んでしまったように感じたのです。
もちろん、義妹が直接そう仕向けたと断言できるわけではありません。
けれど「自分の声が届かないまま決着してしまった」という事実は、わたしの中に大きな悔しさを残しました。
この記事を書いた当初と、いまのわたし
この記事を書いた当初、わたしは義妹が憎くて仕方ありませんでした。
視線も態度も冷たく、思い出すだけで胸がざわつくような感情を抱いていました。
けれど、この1か月で感情は変わりました。
今では「自分の言葉や態度が流れを招いた部分もあったのかもしれない」と振り返れるようになったのです。

ただ必要な距離を保ちながら、落ち着いた気持ちで過ごせるようになりました。
💡この記事で伝えたいこと
- 当時は悔しさや憎しみが強かった
- けれど時間が経つと見え方は変わり、今は感情が落ち着いている
- 自分の声が届かなかった経験から、距離を取ることも「解放」になると気づいた
- けれど、今ではあの出来事も「自分を見直すきっかけのひとつ」になったと感じています。
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