図々しいこども時代
私は、人から何かをもらうことが苦手です。
けれど子どものころは、むしろ正反対でした。

それ、いいなあ!!ちょうだい!!!
こんなふうに遠慮なく口にする、図々しい子どもだったのです。
相手を困らせたり、時には怒らせてしまうこともしばしば。
いわゆる「放置子」だったのです、私。

何、この子、図々しい(困惑)
相手を困らせたり、時には怒らせてしまうこともしばしば。
いわゆる放置子だったのです、私。
受け取れなかった豊かさ
当時の我が家は、父が飲み屋にツケを溜めて払えなくなり、代わりに母がその店で働いて返済していました。
母の帰宅は朝方。だから私たちが起きる時間には眠っていて、朝ごはんを用意してくれることはありませんでした。
お腹を空かせた私は、友達の家で食卓を前にこう言ってしまいます。

わたしにもちょうだい!!!
最初は分けてもらえたけれど、2回目で怒られてしまいました。
「いい加減にして!図々しいね、この子!」

ちょっといい加減にしてくれる!?
図々しいね、この子!!!!
その場の空気が一気に凍りつきました。
まさか自分が怒られるなんて思っていなかったので、頭が真っ白になり、ただ固まってしまったのを覚えています。
豊かさの象徴=朝ごはん
親が用意すべき朝ごはんを他人にお願いしてしまったのは、今思えば無理もないことでした。
それほどまでに、私にとって「朝ごはん」は特別な象徴だったのです
📌 当時の我が家の状況
・母は疲れ切っていて起きられない
・父は家にいないか、起こすと怒られる
・家にはパンすら置いていない
だから、わたしと弟は朝ごはんが食べられなかった。
ただ、不思議なことに母は幼稚園のお弁当だけは作ってくれました。
だから私は、そのお弁当だけは素直にありがたく受け取れたのです。
欲しがると怒られる
朝ごはんだけではありません。
服や文房具など欲しいものをねだることもできませんでした。
😔 欲しがると父に怒られる
それが、私に深く刷り込まれていきました。
さらに小学校の途中からは祖母の家で暮らしました。
けれど父は稼いだお金を自分の贅沢に使い、祖母に生活費を渡さなかったため、私はご飯や部屋まで差をつけられる日々でした。
😔 わたしには豊かさを受け取る資格がない
そう思い込むようになっていったのです。
豊かさを受け取れない大人へ
こうして「豊かさを受け取れない私」ができあがりました。
本来なら、子どもは親から「安心」「食事」「愛情」を受け取るのが当たり前。
それが土台になって、初めて人からの好意や豊かさを自然に受け入れられるようになるはずです。
私はそれを十分に受け取れませんでした。
だから今もなお、「欲しがると責められる」「受け取ると悪い」という思い込みを抱えています。
📌 小さな一歩
正直に言えば、胸を張って「豊かさを受け取れている」とはまだ言えません。
けれど、ここ最近はほんの少しですが
「豊かさってこういうことかもしれない」と感じる瞬間が増えてきました。
この記事で伝えたいこと
- 子どもは本来、親から十分な“豊かさ”を受け取るべき存在である
- 受け取れなかった体験は、大人になってからの「豊かさの受け取り方」に影響する
- 「欲しがると怒られる」「差をつけられる」といった体験は、心に深い影響を残す
- 辛くても、自分の悲しみに向き合うことで必ず気づきが得られる
- 私はいま、その途上にいる
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