北海道の夏に感じた、心の揺らぎ
ここ最近、北海道とは思えないような蒸し暑さが続いていました。
でも今日は久しぶりに涼しくて

これが北海道の夏だよね
こう思える気温。
窓から入る風も心地よくて、静かな土曜の朝を少しゆったり過ごしました。
それでも心の奥では、「できないこと」や「持っていないもの」にばかり目がいっていた時期。
今ある幸せを感じるのは、まだ難しかったと思います。
夫が見せてくれた、さりげない思いやり
普段の夫は「言わなきゃ動かない人」です。
けれどこの日は違いました。黙って庭で、合板を薪サイズに切り始めたのです。

やるなら今日しかないだろ
そう言って、特別な表情をするでもなく、ただ淡々とこなしていました。
その姿を見て「ああ、私は支えられているんだな」と思いました。
言葉にするより、こうした行動に本当の優しさは出るのかもしれません。
廃材の薪から学んだこと

家にあった針葉樹の廃材を切ってみたら、米袋30kgサイズで3袋分にもなりました。
一円もかかっていない薪だからこそ、気兼ねなくガンガン燃やせます。
今までは「薪=お金」という意識が強く、買った薪を燃やすたびに「お金をそのまま燃やしているようだ」と感じていました。
楽しむよりも罪悪感の方が大きくて、せっかくの焚き火を心から味わえないこともあったのです。
でも廃材を惜しみなく燃やせたとき、初めて「お金のことを気にせずに火を囲めるって楽なんだ」と思えました。
その小さな解放感が、次の体験につながっていきました。
広葉樹の焚き火で感じた静けさ
先日のキャンプでは、久しぶりに広葉樹だけで焚き火をしました。

針葉樹に比べて炎が落ち着いていて、ゆっくり燃えていきます。
廃材で「罪悪感なく火を楽しむ感覚」を知ったあとだったからこそ、広葉樹の炎の静けさや美しさを素直に受け取れたのかもしれません。
その火を眺めているだけで、時間を忘れました。
静かで、穏やかで、頭の中が空っぽになるような感覚。
「高い薪はもったいない」と思っていたけれど、こういう時間のためなら使ってもいいかもしれない。
そう思えた自分に、少し驚きました。
湧き水とヒグマ、北海道の暮らし
気持ちが落ち着いたまま、毎週恒例の「龍神の水」を汲みに行きました。
今日は涼しくて空気が澄んでいたせいか、夕方でも人が多め。
本当は夜の方が空いているけれど、この時期はヒグマの活動期。
しかも最近は目撃情報も多く、やっぱり無理はできません。
「オバケよりヒグマが怖い」──これは道民にとって本当にリアルな話です。
自然と共に暮らすとは、こういう緊張感も含めてのことなのだと思います。
湧き水で感じる小さな救い
龍神様に手を合わせ、水をいただいてきました。

この湧き水で淹れるコーヒーやお茶はやっぱり格別。
炭酸にして飲むのも、我が家の楽しみのひとつです。
確かにガソリン代も高くなっているし、汲みに行くのは手間もかかります。
それでも「行ってよかった」と思えるのは、この味があるからです。
豊かさを感じられたわけではないけれど──
行ける環境にいること、
それ自体が幸せなことなんだ
と、後になって思いました。
この記事で伝えたいこと
- 当時の私は「できないこと」「ないもの」にばかり目を向けていた
- それでも、さりげない思いやりや自然の恵みに救われる瞬間があった
- 支えてくれる人の優しさは、言葉ではなく行動に表れる
- 豊かさは分からなくても、心が少し楽になる出来事は確かにある
終わりに:まだ豊かさは分からないけれど
この頃の私は、豊かさを感じられてはいませんでした。
むしろ足りないものばかりが目について、心が重たくなることの方が多かったです。
湧き水を汲める環境があること。
その水で淹れるコーヒーを「美味しい」と思えたこと。
そういう小さな出来事に救われていたのは確かです。
大きな豊かさではなくても、暮らしの中にほんのわずかな救いがある。
それを、この日の記録として残しておきます。
今の私から見て
今振り返ると、あのとき残した記録は「ここにも豊かさがある」と教えてくれている気がします。
湧き水を汲める環境も、夫が薪を切ってくれたことも、すべてが小さな豊かさでした。
義妹はエリクサーを買って、毎日いい水を飲んでいます。
確かにお金を出せば、手間なく良質な水を手に入れることはできます。
でも、自分で汲みに行く湧き水には、そこにはない思いがあります。
龍神様に手を合わせること。
季節の空気や、ヒグマに気をつけながら自然と向き合うこと。
そして帰宅後、その水で淹れるコーヒーが格別に美味しいこと。
たまに、ちょっとした面白い出来事に出会えるのも湧き水ならでは。
以前、正月の夕方なら空いているだろうと思って京極ふきだし公園へ行ったら、同じように考えていた一組と鉢合わせ。

同じこと考えてる人がいるんだ!

同じこと考えてる人がいるんだ!
こんな感じで目が合って思わず笑い合う一期一会の交流がありました。
ちょっと面倒ではあるけれど、その「面倒さ」や「偶然の出会い」も含めて、湧き水を汲みに行く時間は特別なもの。
最近になってようやく、それを素直に受け取れるようになりました。
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